ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。

2011年1月4日

偽れる未亡人(吉屋信子)

さらに吉屋信子「自伝的女流文壇史」第5章、「偽れる未亡人 三宅やす子と私」。

もうこうなると、私はその名まえ「三宅やす子」を聞いた覚えもない。
だけど、吉屋信子がこの文章を書いた時期に、その名はすでに忘れられつつあったようだ。
 三宅やす子と言っても、残念ながら現在は彼女を記憶する少数の人以外、ピンと来ないであろう、けれども彼女は大正十年頃以降昭和七年世を去るまで、理学博士未亡人として二人の遺児を抱えて文筆で生計を営み、婦人問題の講演会に適切な講師として各地に招かれ、当時は十分に有名だった。その死後に中央公論社から三宅やす子全集五巻刊行され長篇、短篇の小説と評論 感想が収録された。そのなかの『未亡人論』は戦後にある書店から再刊され彼女の遺児三宅艶子の依頼で私はその書冊の帯に推薦の数行をしるした。


三宅やす子が忘れられた作家であるそのわけは、すなわち彼女の作品が、長く人口に膾炙するに足る芸術性を持ち得なかったせいにほかならない、と、すくなくとも、それでもこうした文章を残そうとするほどに彼女の友人であったはずの吉屋信子が認めるところだ。だけど、それを吉屋信子は、自分の口で言うのではなく、引用に頼る。
 彼女の文学においての価値は、かつての文芸批評家の故千葉亀雄の評(日本文学辞典別巻掲載)を引例すれば、
 (三宅やす子の作品は作者の広い体験と聡明な時代婦人観を示すものではあるが、広い体験がかえって鋭い直覚力を鈍らせた憾みがあり心理の分析にも事件の構成にも妥協的な生ぬるさと通俗性を感ぜしめ芸術的なものにまで昇華しない中途半端さがあった)
 あるいは、「かつての文芸批評家」ではない権威、夏目漱石まで持ち出している。
 漱石はシリアゲムシの研究で博士の学位を受けた三宅恒方の夫人に優しい親切な師となりそれ以来幾つかの原稿を読んで批評されたが、
 「あなたの書くものは大味だね、ごく大味のさかなを食べてるようだ、もっと個性を出して書けませんか」
 と、いつもたびたび言われたと彼女は随筆『夏目先生の印象』のなかに書いている。彼女の作品が(大味の魚の味)とはまさに適評であったようだ。けれどもやす子自身はまことにすばらしい新鮮な味を持つ女性だったのに!
それなら、それでもなおひと頃文壇に名を轟かしたのは、なぜか? それについても、吉屋信子は懇切丁寧に説明している。
 しかし、この芸術的に未昇華の生ぬるい中途半端の作品が婦人雑誌にたびたび掲載され『朝日新聞』にも長篇『奔流』などが連載されたのは、おそらく彼女の作品の実質よりも、理学博士未亡人の才色兼備(彼女はふくよかな美女型)というレッテルが当時のジャーナリズムの迎えるところであったと思われる。いわば彼女は名流夫人文筆家であった。彼女はいわゆる毛並のよい血統だった。その父、加藤正矩の兄、法学博士文学博士の二学位を持つ加藤弘之は明治天皇の侍講であり枢密顧問官、帝大名誉教授、そして男爵を授けられて、その長男照麿は宮中侍医……それがやす子の伯父と従兄である。やす子は父を失ってからその伯父の邸内に庇護された。そのやす子がのち結婚した三宅恒方もその父を失って後学資その他の助力を仰いだのは叔父文学博士三宅雪嶺であり、雪嶺夫人竜子は樋口一葉と共に中島歌子の同門の双璧と称され一葉に先立って処女作『藪鶯』の一篇を発表した経歴がある。
最初のセンテンスで、「思われる」と、控えめではあるが、天皇までもち出し、肩書きを列挙して、いかにやす子が名門の出であるかととくとくと語る。
およそ、少女小説作家に甘んじていた自分を恥じ、純文学を目指していた吉屋信子の科白にしては、ずいぶんではないかと思わずにいられない。あるいは、「たかが」少女小説作家であったけれど、これを書いている自分は、例えば林芙美子と新聞小説を朝日と毎日で競い合った純文学(芸術)の境地に達していたと言った矜持だろうか? それはそれで、やはりずいぶんじゃないか、と思ってしまう。

ところで、吉屋信子が章のタイトルにまでしている「偽れる未亡人」とは何か? じつはこれもまた、ちょっとバカにした話だ。なぜなら、それはほかでもなく三宅やす子の遺作のタイトルにほかならないのだから。

では、吉屋信子は、宮本百合子同様に、お嬢さまの手慰み程度に見下して、嫌悪感を持っていたということだろうか?
そうではない。むしろ、宮本百合子について語るようには、吉屋信子の筆は、口籠もっていない、その明け透けさこそ、吉屋信子の、三宅やす子に対する親愛の情が顕れていると思える。たしかに、吉屋信子は、三宅やす子を文学者として評価してはいなかっただろう。だけど、なによりその人柄は愛していた。
例えば、ともに友誼を交わした宇野千代が引き合いに出されたとき、三宅やす子の文学も宇野千代の文学も、語る言葉を失う。宇野千代という、すくなくとも世間的評価においてたしかな文学者であった者がそこに並べられながら、彼女を語るとき、その文学についてはなにも、吉屋信子は語らないのだ。そして、互いの、三宅やす子を巡る嫉妬が語られる。
男たちに可愛がられながら文壇に女友だちがいなかったと書かれた、岡本かの子や林芙美子と較べれば、その違いは大きい。

文壇史と言いながら、この章は、三宅やす子という人間の魅力こそが、吉屋信子にとって、語るべきすべてだったのだろう。それは、まるで文学をダシにして、それより人間性を称揚するようでさえある。まして、三宅やす子が、「偽れる未亡人」でありながら、なのだ。

と、ここで、じつは私は吉屋信子が仕掛けた今ひとつの陥穽にはまっているのではないか、との疑念がよぎる。
夏目漱石は、三宅やす子に、「もっと個性を出して書け」と言ったのだったし、吉屋信子もそれを受けて、「やす子自身はまことにすばらしい新鮮な味を持つ女性だったのに!」と、エクスクラメーション・マークつきで書いていた。その上で、この章のタイトルは、三宅やす子の著作と同じである。
 だが時々ガーガー鳴ったりした古い大型ラジオの如きその母を艶子さんも尊敬するごとく宇野さんも私もまた然りである。けれどもいそがしき世はその三宅やす子を忘れている、だが彼女が三十年前まで作家であり評論家であったことは女流文壇史に止めたい。彼女は逝く年まで『婦人公論』に『偽れる未亡人』を連載して、自らの過去の一切を告白せんとして途中昇天した、たしかに女流作家の一人であった。
三宅やす子は、たしかな作家に成りかかっていたのだ。いや、成りながら、それを証明する途上で倒れた。「偽れる未亡人」こそその証になるものだった。
とすれば、未完のそれでも、読んでみたい気にさせようというものだ。これこそ、吉屋信子の奸計と見るべきか?

ところで、私は、小説でもなんでも、作品に触れるとき、その作者の人間性などどうでもよい。作品が面白ければ、その作者がどんな人間であろうと関係ない。また、作者の人生にも興味などない。それがそのひとの作品に影響を与えているのだとしても、それもまた私のしったことではない。
だが、それと同時に、だからといって、その作家より作品のほうが大事だ、というわけではない。たかが小説などより、小説がどうであれ、その人間が優れた人物であるならば、それは称揚されてしかるべきだ。ようするに、小説と人物は別のものだ。どちらが優先されるものでもない。
このとき、矛盾するようだが、文学をダシにして人物を称揚するこの書き振りを、私は愛する。文学なんか糞食らえ、たいした小説を残せなくても、人物は優れていた、すくなくとも私はその人格を愛したと言うがごとき、吉屋信子のこの章を私は好もしく読んだ。

なにより、引用のとおりの稚拙な文章が、吉屋信子を三宅やす子に見せてしまうようではないか。

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