なにを隠そう、私は岡本かの子が好きだ。ちくま文庫の「岡本かの子全集
だが、彼女の虜になったのは、むしろ肉体を持った彼女に出会ったひとたちだったらしい、それらの伝説も伝え聞いている。
私は、作者と作品は切り離して読みたいと思っているので、彼女の作品は作品として愛しながら、彼女というひとりの人間について語られた伝説の面白さはそれはそれで、興味深く感じてしまうのもまたたしかだった。
彼女の伝説といえば、なにより、男たちを魅了したこと。それ以前にも、当時宰相の名をしらないひとはいてもそのマンガ家をしらないひとはいないとまで言われた岡本一平の妻であり、そして日本の画壇のなかでももっとも有名といってもよいだろう岡本太郎の母として、岡本かの子の名はあるのだけれど、例えば、吉屋信子も下のとおりに書いている男性をめぐる伝説の数々。
さて、その日かの子夫人は午後二時頃から夜までわたくしの客間の椅子に落着かれて、今まで語られたことのなかったさまざまの話をされた、実家大貫家の天井には祖先の婦女たち乗用の駕籠が釣るされていた話、兄晶川の友谷崎潤一郎が学生時代来られた話……それから夫人が良人一平氏寛容のもとに愛人としたいまは亡きH青年の話……ずいぶんあっさりと書かれているが、例えば、自分がかかっていた医師を籠絡して、家に連れ込んでしまったとか、それもどうやら、その医師というのは、当時かの子が罹患した病気を考えるとどうやら肛門科の医師だったようだとか、あるいは、後に広島知事になる人物が、晩年に自分の人生を振り返って最もよかった時代を、「かの子さんの家で書生をしていた頃」と答えたとか・・・。
だけど、私たちは、かの子の顔を写真で見知っている。長谷川時雨の「近代美人伝
ここで、吉屋信子の筆が冴える。というのは、信子は、上に見るとおり、あまりその点を強調しないのだ。だが、そもそも、かの子と信子がはじめて会う場面を見ると、かの子の魅力が強調されて書かれていたのだった。
この路地の奥の低い地面の小さな家は外より早く家うちが暗くなる。花世さんが立って電燈のスイッチを入れた時……縁の外に足音が軽くひびいて障子に影がさした。「あっ見えられた」花世さんは岡本夫人の来訪を迎えて縁に出た。やがて一人の女性がわたくしたちの前へ現れた。その刹那わたくしは烈しい衝動を受けた。そう、陳腐きわまる形容ではある。だけど言葉は、すでに陳腐にしか、女性の美しさは語り得ない。
それはわたくしのかつて今までに見たことのない、あるエキセントリックな美しさともうるわしさともなんとも名づけがたい感じを与える女性が眼前に出現したからである。
髪はその頃の形の(耳かくし)と称したものでふっくらとまんまるな顔によく似合い、そして化粧も描けるごとく念入りであったろうが、まず何よりその印象の中心をなすものは、二つの大きく大きくまるく見張られた眼だった。まことに陳腐な形容ながらまったく濡れた大粒の黒真珠のような瞳は、時としてその顔中全体が二つの眼だけになってしまう感じだった。
美しいひとをわたくしもさまざま眺めたことはある、だがこうした雰囲気を身にまとうた女性を見たことはなかった。童女がそのまま大きくなった御婦人、この世とちがったところで呼吸している女性……。上に続く文章だ。これを読んで、ああ、なるほどなぁと感心させられてしまった。ようやく、かの子の魅力がわかったと思えた。
だがその一方で、ことさらに信子は、かの子と男、ということには触れない。もちろんそれは、副題を「岡本かの子と私」としているとおり、わたくしを通じたかの子の話なのだから、わたくしの目に入らない話は書かれないということだろうが、それなら、先の田村俊子の話はどうだったろうか? そして、目にとまる文章がある。
かの子はまだその頃は――文壇で川端もとより男の文人たちには可愛がられながら、女流作家たちとの交流がなかったというのだ。、横光
、評論家で小林
氏等とはすでに相識の間柄であったが、女の作家たちとは交る数が少なかったせいか、わたくしはある時、夫人の依頼を受けて林芙美子
さんを誘い、青山高樹町のお宅へ行ったことがある。そして招じられた食堂の卓上には芙美子歓迎を示して日本酒の一升壜が置かれてあった。それを夫人があぶなげな手つきで銚子につぎ傍の瀬戸小火鉢の青い琺瑯引きの薬罐に突き込む……一升壜がどしんとある風景も瀬戸火鉢も琺瑯引きの粗末な薬罐もなんだか……その洋風食堂とかの子夫人には似ても似つかぬちぐはぐなものだった。
ある日、婦人雑誌の各界の女人を集めた座談会の帰り、かの子、芙美子とわたくし三人が同じ車で帰る途中雨となった。かの子が先に降りる高樹町の家に入る角の路に岡本家の老婢が傘を持って立っていた。汽車や電車の駅ならともかく自動車で帰る奥さまをこうして待ち受けるのは相当ながく立ち尽くさねばならぬのにとわたくしが感心すると、かの子は二つの黒眸に熱を含んでわたくしを睨むごとく見つめ、およそ、男性に可愛がられこそしても女性には好かれないタイプだったというようではなかろうか? ことさらに、林芙美子が「幼少から険しい苦難辛苦の生を経てわが道を開いた」ひとだからかの子をわからないのだろうと断りながら、自分にはそれがわかるのは、「投書娘の日に会って俘虜となった」からなのだ。そう、上に引いたかの子と信子の出会いの場のとき、いまだ信子は職業作家ではなく、投書を繰り返していたにすぎず、ところが、かの子は信子の名をその投書した文章、そのタイトルまでも記憶しながらそれらの文章のファンだと言った、信子にとってはまことに特別な存在だったのだ。嫌いになどなれるわけもない。
「愛があるからよ、あのひと(老婢)はわたくしを愛しているのよ!」
荘重な口調で告げて車を降りてゆかれた。
そのあとで林さんはいきなりわたくしの肩をポンと叩いて「愛があるからよ、わたくしを愛しているのよ」と口真似をしておよそおかしくて面白くてたまらぬように小さい身体をゆすって高い笑声をあげ「あのひとはなんていつまでお嬢チャンなんですか!」とまた笑った。幼少から険しい苦難辛苦の生を経てわが道を開いた林さんには、そのゆたかな詩情をもってしてもそれは理解の外であったのも無理がない――投書娘の日に会って俘虜(とりこ)となったわたくしには(愛しているのよ)の言葉はかの子の唇から真実溢れてこぼれた花びらのように受けとれたが……。
いやしかし、吉屋信子って、じつに巧妙に、嫌味なひとだ。
そして、写真では、真の魅力など伝わらないものだ。

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