ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。
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2011年4月10日

四次元の断面(甲賀三郎)


職場の本棚に上の本を見つけて、思わず借りて、何篇か読んでしまった。
このモダン都市文学のシリーズは、以前「モダンガールの誘惑」と「都市の周縁」を古書市で見つけて我が家にあり、前のブログではずいぶんとネタにしたのだった。

例えば、佐藤春夫の「指紋」はすでに読んでいたが、最後まで読んでしまったし、江戸川乱歩の「目羅博士」は途中でやめて、北林透馬「支那人街(なんきんがい)の娼婦(おんな)」を最後まで読み、コラムも全部読んで、それから甲賀三郎の「四次元の断面」を読んだのだ。
ほかにも、読みたい小説がいくつかある。

ちなみに、北林透馬は、コラムは面白かった(連載の部分だけだったけど)のに、小説の「支那人街の娼婦」はつまらなかった。

2011年4月2日

乾燥腕(鶴川健吉)

ひさしぶりに読了したのが、第110回文學界新人賞受賞作、鶴川健吉「乾燥腕」。
今さら感が強い、ちょっと古いネタなのだけれど、縁あってコピーが手に入ったので、読んだのだ。

2011年2月7日

鳥(色川武大)

「小さな部屋・明日泣く」の第6篇は、「鳥」というきわめて短い小説。きわめて短い小説なので、簡単に・・・。

内田百閒の「東京日記」を思い出しながら、読んでいた。
じつはその昔、旺文社の「冥途・旅順入城式」に出会って以来、内田百閒の小説は、見つけるたびに買い込んでいたのだけれど、彼の随筆は敬遠していて、ところが、小説より随筆のほうが圧倒的に多いひとのことだから、「東京日記」もそのタイトルからてっきり随筆だと思い込んで、長く手をつけずにいたのだった。それが、小説としって読んでみたら、これほど面白い小説もまたとなかった。

そして、「鳥」だけれど、そんな面白い小説を思い出させてくれるほどに面白い小説だった。面白い小説だったけれど、わからないといえば、わからない。


2011年2月6日

ワルキューレの光(日野啓三)

ふと、先日、高田馬場BIGBOXの古本市で買った、日野啓三「天窓のあるガレージ」を開いて、巻頭の「ワルキューレの光」を読んだ。

物語だけを見れば、ようするに、オーロラを見に行った私が、結局オーロラを見損ねるだけの話だ。いわば小説と言うより紀行文といえる。まして、日本人が、北欧の小さな街で、その国の文化と出会う、いや、日本人であることがそこではズレてしまうことからはじまり、その国の文化を垣間見る、いわば異文化遭遇のお話なのだから、まさに紀行的だ。
それでも、その異文化との出会いが、描写のなかで、描写として描かれるとき、それが小説になる。


2011年2月2日

ひとり博打(色川武大)

色川武大「小さな部屋・明日泣く」は、まだまだ続くのだった。

「ひとり博打」は、短篇の半生記だから、場面や出来事は乏しく、映像を見せてくれないさみしさがある。
だが、それがまるで私小説のように読ませる。いや、それは嘘だ。宙吊りの「私」がここにいる。宙吊りになっているのは、私たち(読者)だ。


2011年1月30日

穴(色川武大)

「小さな部屋・明日泣く」の第3篇は、「穴」という小説だ。

舞台は、戦時中、語り手「ぼく」は、中学校を無期停学中、元海軍兵の父は、家の床下に防空壕と称して、穴を掘り続けている。
無期停学になる「ぼく」の境涯、「ぼく」に対する母の誤解、空襲、だけど、それらを圧して、父が掘る「穴」がタイトルになる。それなら、この小説の要は、その父の行動だろうか? あるいは、父が掘る穴、その在りようが、この小説世界、あるいは「ぼく」を象徴しているということだろうか?

2011年1月29日

眠るなよスリーピイ(色川武大)

色川武大の「小さな部屋・明日泣く」を読みすすめている。言うまでもなく、面白いから読みすすめている。

2篇目の「眠るなよスリーピイ」は、いわば近未来SFの設定だ。SFと言えば、エンターテインメントだし、物語を見るなら、この小説はエンターテインメントだ。
だけど、「麻雀放浪記」をはじめとする阿佐田哲也の名まえでも有名な色川武大が、色川武大の名まえで書いた小説だ。エンターテインメントと純文学の違いを、作品を実際に書いてしっている色川武大が、純文学を、SFの設定に乗せて書いたのが「眠るなよスリーピイ」だ。そして、たしかに間違いなく、この小説は純文学だった。
たとえば、大江健三郎の「治療塔」や「治療塔惑星」、あるいは、安部公房の「人間そっくり」などが、そうであるように、SF作品だからと言って、エンターテインメントとはかぎらない。

2011年1月25日

小さな部屋(色川武大)

色川武大の「小さな部屋・明日泣く」を開き、「没後10年目に発見された色川武大名義の幻の処女作」だという「小さな部屋」を読んだ。

小さな部屋が、自分の身体になっていく、自分の身体が部屋そのものであるその世界観、そして、さらにその身体感覚がより広がっていこうとすること、なんともおこがましくも、拙作のことなど思い出し、妙な共感のなかで、楽しんだ。
いやいや、そもそも、西條八十のエンターテインメント私小説を読んできたところで、文章を構築しようという意欲に満ちた、その硬質な文章を読むだけでも、快感がある。それは、なるほど幻の処女作昭和31年に書かれたという若書きの面も多分にあるだろう。硬質は、生硬さとも受け取れる。もしかしたら、「女妖記」のあとでなければ、その硬さ、若さを疎んだかもしれない。

それでも、やはり読まされる。

2011年1月24日

「女妖記」(西條八十)読了

「女妖記」の残り4篇を一気に読み終えてしまった。
読了の雑感から、この記事をはじめる。

「現実は小説よりも奇なり」という言葉がまかりとおっている。
もちろんそんなことはないのだけれど、例えば、「黒縮緬の女」にせよ、この「濹東の女」にせよ、小説として見たとき、いかにもありそうな、お話で、それが西條八十という著名人が現実に体験した出来事だったという保障があればこそ読ませる、という意味でも、小説(創作)と現実の境界線は、それを読むものの意識に、ある種の差別化をもたらしている。
それは私小説という言葉にしても、たぶんにそうした差別化の恩恵に浴しているだろう。
そのうえで、私小説をふくむ小説が、まして、幻想小説などとの奇想の小説ではなく、現実世界を舞台とした小説が、現実を凌駕できるとしたなら、それは文章によるしかないはずだ。

いやところが、かならずしも、そうではない。
そもそも「現実は小説よりも奇なり」というとき、なにが奇なのかと問えば、そこにある出来事とその連鎖としての物語のことにほかなるまい。そもそもそこには、文章を読むという体験は捨て置かれている。
物語と出来事をいかに書くか、という点で、小説は現実の先鋭化であるといってもいいかもしれないが、さらに、ここに人物(人間)という小説(文章)のパーツを考えたとき、例えば、この本で「女妖」と呼ばれる女性たちの魅力は、いわば現実の側にあり、物語、出来事のものかもしれない。そして、それを語る「ぼく」あるいは西條八十は、その語りようにおいて、小説の側にありそうだけれど、やはり、それが西條八十であることとあいまって、やはり物語の側にもたぶんに関係している。
それは、例えば、これまでの諸篇でも、私たちがよくしっている名まえや、よくはしらなくても、かつて有名だった名まえがたびたび書かれ、そうした名まえにたいする興味すら引き起こしているとおりだ。

すなわち、「濹東の女」といえば、西條八十のサービス精神は、永井荷風を召喚せずにいない。いや、そもそもそのタイトルがすでに、永井荷風を連想させるように書いている。

2011年1月23日

黒縮緬の女(西條八十)

「女妖記」はまだまだ続く。

「黒縮緬の女」もまた、西條八十若き日の出来事だ。それも、たった一日だけの女。

2011年1月22日

水戸の狂女(西條八十)

「女妖記」の面白さは、じつは、それが実在した女妖と、有名な詩人の情実だと言う、はたして、どこまで信じていいのかわからない保障によるのかもしれない。

「水戸の狂女」は、そのタイトルのとおり、やがて狂女となって、病院に入る水戸の芸妓の話だ。しかし、そこに表れる狂人の姿は、どこかで見たような、どこかで読んだような、凡庸きわまるもので、詩情もなにもない。
この一篇は、それが「女妖記」と名づけられていればこそ、彼女がその後狂女になったから、書かれたのかもしれない。もしかしたら、吉勇のように「ぼく」が情をつうじた女は、数知れなかったかもしれない。

それなのに、吉勇が病院に入って以降のほうが、面白くないのだ。やはり「ぼく」の在りようこそ、この本の魅力だと言っていい。
いや、かならずしもそうは言えない。女の魅力ももちろんある。ただ、今回は、彼女がやがて狂ったことが、要になっているようだけれど、それは彼女が「ぼく」と別れて後のことなら、まして、その様子が凡庸でもあれば、さして面白くもなく、それならいっそ、彼女のその後はもっと簡潔でよかったように思う。

2011年1月21日

李姿鏡(西條八十)

「李姿鏡」は、「女妖記」の5篇目にあたり、"李姿鏡"は、ひとの名、朝鮮人の女性の名だ。
「ぼく」は当初、その名まえに魅了されて、ふたりの関係ははじまる。
だけど、この章は、李姿鏡の魅力もさることながら、これまで読んできた諸篇を踏まえて、西條八十、あるいは「ぼく」への興味が湧いてきていて、それを読む楽しみがあった。
 今ならファンと呼ぶのだろう。若い頃、ぼくの抒情詩にあこがれて、手紙をよこす女性の数は実に多かった。その手紙の中で、特にこころに残ったものだけを、ぼくはなんとなしに、幾つもトランクに保存しておいた。
 日夏耿之介はよく「君が死んだら、そのラヴレターでぼくが張子の仏像をつくってやる。そして銘を入れて(色仏)と名をつけてやる」と冗談を言ったものである。ぼくは戦争中、疎開するとき、それを庭で焼いたが、時間がかかるのにおどろいた。
日夏耿之介の言葉としてだが、「色仏」などと書いて、いよいよ正直に本性を顕してきた気配がある。
日夏耿之介にそんなことを言われるほどに、「ぼく」の女癖の悪さは、有名だったのだろうし、それなら、こうした著作の執筆の依頼も、それを踏まえた編集者があったからではないか、とさえ思えてくる。

2011年1月20日

桔梗の話(西條八十)

「歴史小品」の「老子 函谷関に帰る」(郭沫若)を読んだけど、古典だね。
まるでプラトンの中国版を読んでいるようだ。対話によって、思想を語る。いや、対話にもなっていない。老子がひとりで延々と話し続ける。弟子(のようなもの)相手に、かつての自己を否定する、というスタイルは、対話形式としては、面白いと言えなくもないし、書き出しは、真夏の描写で、それはまた、老子が砂漠から帰ってきた、その暑さに対応していたりもするのだけれど、ひたすらかぎカッコのなかで語られるスタイルは、読書の時空を、その語りつつある場所に固定してしまって、動かない。
唯一、老子が振るう牛の尾だけが、場面に動きを与えているけれど、物足りなさはいなめない。

で、もう一度、「女妖記」を開いた。
じつは、この短いお話ばかりの本のなかで、「桔梗の話」はとりわけ長く、60Pに近いから、期待半分、ガッカリしそうな予感半分で、ちょっと手を出すのを躊躇ったのだった。
だけど、いざ読みはじめたら一気に読んだ。

2011年1月16日

登山電車の女(西條八十)

さらに「女妖記」を読みすすめているが、どんどんよくなってくる。
散文に慣れてきたのかな? 逆にいえば、最初は慣れていなかっただけで、さすがは文学者、ちょっと書いてみたら、どんどん上達したということかも。

だとしたら、出来事としては最高にエキサイティングだった「今子と言う娘」は、早まったのかもしれない。おいしいネタは、書き方を見出すまで温存したほうがよかったかもしれない。

まさか、この「登山電車の女」が、ついにHに漕ぎつけてしまった相手だから、筆が乗ったというわけではないよね。

十一号室の女(西條八十)

「女妖記」第二章「十一号室の女」を読んだが、あれれれれ、面白いぞ。
「今子と言う娘」の40P近い長さに比べ、ほんの15Pほどという短さが、一気に読ませたということはある。また、女の面白さもあるかもしれない。いや、むしろ、「今子と言う娘」は書きすぎていた、書くべきことが多すぎたのにたいして、「十一号室の女」と「ぼく(西條八十)」が顔を合わせたのはただ一度のことであり、その一場だけの女だからこそ、西條八十の筆も、その姿を現前させえたのかもしれない。

2011年1月15日

今子と言う娘(西條八十)

西條八十の「女妖記」、最初の一篇「今子と言う娘」を読んだのだけど、期待はずれだった。
面白くない。
作詞家としても活躍した象徴詩人が、妖しい女を書くなら、たとえそれが自伝的すなわち私小説的な枠組であろうとも、女たちの描写に期待をしたのだけれど、この小説がかねて忘れられていた理由がわかったような、あるいはしょせん散文は下手なひとだったのだな、といった感想を覚えてしまった。

この「今子と言う娘」だって、けしてつまらないお話ではない。
自分がかつて愛し合った芸妓との間に生れた娘だと告げる今子との、数ヶ月の物語で、そのなかには、その芸妓・小蘭との恋愛譚も語られている。そして、それが「女"妖"記」の一篇であり、書かれつつあるなかでも、今子のあやしさは語られている。
それなのに、面白く読めない。これはどうしたことだろう。

2011年1月10日

虐殺器官(伊藤計劃)

伊藤計劃の「虐殺器官」、400Pという長篇だが、一気に読んでしまった。

小説として見たとき、例えば、夢のなかの描写などは、夢としての奇抜さもふくめて面白いにせよ、やたら形而上学的な会話が説明的な点などが、いかにもSFだなぁという物足りなさがあるし、物語を見たときにも、追跡劇のなかで、追い詰めては逃げられるくり返しの在りようにも真新しさはない。
だけど、ここで語られることのリアリティは、非常に刺激的だ。

2011年1月9日

東慶寺風景(吉屋信子)


うっかり飛ばしていた。
「自伝的女流文壇史」には、「美人伝の一人」の前に「東慶寺風景 ささき・ふさと私」があったのだった。
「美人伝の一人」を読む前に「百花繚乱 呵呵大笑」を読み、たいそう楽しんでしまったせいでもあるけれど、忘れてしまうほどに、印象が薄かったということでもある。
ささき・ふさという人を私がしらないし、書かれ方も、印象が残らなかった。いや、ゆいいつ、印象に残った場面があるが、それは追って・・・。

美人伝の一人(吉屋信子)

またもや吉屋信子の「自伝的女流文壇史」に戻って、「美人伝の一人 山田順子と私」だ。
この章をもって、ひとりひとりに焦点をあてた女流文壇史は終わり、このあとにはエピローグ的な「女流文学者会挿話」を残すのみとなる。
この最後に、下の文章がある。
 (美人薄命)という今は手垢のついた骨董めいたこの文字に残念ながらぴったり合う彼女の数奇なる運命は、近代美人伝の一人として記録されるにふさわしい。
 けれども山田順子の願いは(女流作家伝)の一人たらんを望むであろうが……。
 そう思った時、わたくしはこの(自伝的女流文壇史)の刊行に当って彼女の女作家への悲願の生涯を伝えてあげたい仏心(?)が生じてしまった。
「彼女の女作家への悲願の生涯」という文章にも、山田順子が生涯女作家たりえなかったという皮肉が利いているが、それとともに、その章タイトルからも連想せられるはずの長谷川時雨の「近代美人伝」にたいする敬意と、この本の役割といったものの表明が、矜持となって顕れているようだ。

皮肉もふくめたこうしたこの本の在りようを示すものとして、この章は、最後を飾るのに相応しい。なにせ、これまでを読んできた読者なら、ここで伏せられた重要な名まえも、明々白々なのだから。

2011年1月8日

忘れぬ眉目(吉屋信子)

まだ続く「自伝的女流文壇史」、次は、矢田津世子だ。「忘れぬ眉目 矢田津世子と私」。

矢田津世子といえば、長く、坂口安吾の結ばれなかった恋人としてだけ、記憶されてきたきらいがある。すくなくとも、私にとっては、その作品に出会う機会もないまま、安吾の名まえの許にのみ、聞き知っていた名まえだった。
安吾は、彼女に恋しながら、だけど彼女の文学は認められなかったといった話もあり、さらに出会う機会のない状況もあり、およそ矢田津世子の書くものは、読む価値のないものだろうと、思い込んでもいた。

それでも、「神楽坂・茶粥の記 矢田津世子作品集 (講談社文芸文庫)」が出たとき、せっかくだから、と、むしろ坂口安吾への興味の許に読んでみたら、これがとても面白かった。
というより、これは以前のブログにも何回か書いたのだけれど、私は「茶粥の記」という小説に、まったく周囲が見えないほどに熱中してしまった。
埼玉の大宮駅といえば、新幹線も止まる大きなターミナル駅で、帰宅ラッシュの時間なら、大宮駅の乗降は激しい。いや、車中を埋めていた乗客のあらかたが降りる。だから、眠り込んでいればいざしらず、まして座り損ねて立ったまま、この駅を乗り過ごすなどということは、めったにない。ところが、それをしでかしてしまったのが、「茶粥の記」を読んでいたときだった。それほど、私を夢中にさせた小説が「茶粥の記」だった。後にも先にも、すくなくとも今のところ、こんな経験は、この小説だけだ。
まぁ、騙されたと思って、一度読んでみるといいと思うよ。

そして、この「忘れぬ眉目」も、「茶粥の記」を、やけに詳しく紹介している。