この章をもって、ひとりひとりに焦点をあてた女流文壇史は終わり、このあとにはエピローグ的な「女流文学者会挿話」を残すのみとなる。
この最後に、下の文章がある。
(美人薄命)という今は手垢のついた骨董めいたこの文字に残念ながらぴったり合う彼女の数奇なる運命は、近代美人伝の一人として記録されるにふさわしい。「彼女の女作家への悲願の生涯」という文章にも、山田順子が生涯女作家たりえなかったという皮肉が利いているが、それとともに、その章タイトルからも連想せられるはずの長谷川時雨の「近代美人伝
けれども山田順子の願いは(女流作家伝)の一人たらんを望むであろうが……。
そう思った時、わたくしはこの(自伝的女流文壇史)の刊行に当って彼女の女作家への悲願の生涯を伝えてあげたい仏心(?)が生じてしまった。
皮肉もふくめたこうしたこの本の在りようを示すものとして、この章は、最後を飾るのに相応しい。なにせ、これまでを読んできた読者なら、ここで伏せられた重要な名まえも、明々白々なのだから。
山田順子とは誰だろう? たしかに私はその名をしらなかった。それは私の無教養のゆえだから仕方がないが、ためしにAMAZON
だが、じつは私は彼女に関連する小説を読んでいたのだった。
ところで、彼女に溺るる先生も、彼女の多弁と訛には困っていられるかと思ったが、けっしてそうではなく、彼女のとの事件を題材にされた私小説のなかには(彼女の訛もその声の旋律にかかると気にならず提琴の調べのようだ)という美辞麗句でぬけぬけと表現されたのには驚いてしまった。すっかり忘れて、どちらがそれにあたるか思い出せないが、このふたつの小説のおそらく上記分は、「仮装人物
ところが後年――さすがの先生の情痴も醒め果てて順子との間柄がすっかり清算されたあとの私小説には彼女は(紙に火が付いたようにぺらぺらしゃべりまくる)と遠慮もなくまったくの自然主義のリアルな描写がしてあるのには、またもや驚かされたものである。
その郵便物を順々に封を切るとある出版社のがあった。それは私が若い日から(先生)と呼んだ文豪の生誕九十年記念として全集が刊行されるので、その宣伝パンフレットに推薦のことばを書くようにとの依頼だった。吉屋信子にとって、いわば師匠の愛人というわけだ。
私はこの文豪が選者だった『大阪朝日新聞』の懸賞長篇に当選したお礼にその家を訪れて初めてこの大家に会ったのだった。その当時の私の年齢の二倍より多かったこの自然主義の大家がどうしてまだ女学生めいた私のものを認められたのか不思議なほどだった。
その先生はあの戦争の三年目の晩秋マキン、タラワ両島守護の日本軍全滅が報じられた一週間前に七十二歳で逝かれた、そしてこの年は生誕九十年という。あれから十八年経ってしまった……。
私はその全集の出版社からの手紙の封筒に赤鉛筆で(要返事)と心おぼえをしるして机の端にのせ、次の封書を手にして裏の差出人を見た時、――山田順子墓碑建立会という文字が真先に眼に飛び込むと、私は思わず(あった)と小さい叫び声をあげたくなった。
山田順子! この女人は生誕九十年の文豪といっときの恋愛に世を騒がせて当時の新聞にはなばなしく写真入りの記事がたびたび出た、そのひとの名だった。
さらに読み進めれば、山田順子というひとは、竹久夢二
夢二は私が女学生の頃、投書していた少女雑誌の画家だった。毎月その雑誌を手にすると読物より先にその絵を眺めてうっとりした覚えがある。眼が顔の三分の一を占めるほど大きく描かれた夢二式美人が、ある時は月見草の群がる前にある時は……そうした絵はいちじ全国的に若い人たちの憧憬の的だった。夢二の絵を「眼が顔の三分の一を占めた絵」というのは、昨今の事情を見れば大袈裟にも感じるが、なるほど、吉屋信子といえば、時代的に夢二より中原淳一らの世代と親しかったかと想像せられる。
その頃はもうそれほどでもなかったにしても、私の少女の日の記憶に残る絵の画家だった。先頃山田順子というひとの『流るるままに』と題した長篇の処女作がある書店から出版される時にその装幀を夢二に彼女自身が頼みに行ったのが始まりで、夢二はその著者の美貌に魅されてながい間の同棲の愛人だったお葉さんというひとを棄てたということが評判になっていた。
これが吉屋信子と山田順子の出会いの場面に出てくるのだが、ここでもまた、その文学に関する皮肉はひとの口を借りる。ちなみに、それは徳田秋声夫人の埋骨式だ。
それはともかく、その山田順子が何故ここに今日現われているのか不思議だった。またしても、女に嫌われながらも、男たちに愛される女の話であり、だが、このときにも吉屋信子は同情の身振りを忘れない。
「あたりまえよ、あの出版は先生が紹介したんですもの」
まったく私はその点ぽんつくだった。それというのもまだその『流るるままに』とかいうのを私は手にしていなかった。今日眼のあたり見た美しい彼女の著作なら読んでみたいと思った。
「およしなさい、甘ったるくてとても読めやしない! どうして先生があんなものを……」
はっきりと反感を示して眉までひそめてそのひとは言うのだ。
「夢二とは!」
「とっくのむかし御破算よ、だから目下は先生とこへひそかに空巣狙いよ」
空巣とは、先生が男やもめの意味だった。
老大家との彼女の恋愛はけっして純なる動機でなく要するに先生を踏台にしてあっぱれ女流作家として名を成そうという下心からだと、まずたいていの人がそう思って彼女にある反感を抱いてしまった。けれども、私はとり立てて彼女に反感が持てなかった。何故なら(先生の衣鉢を継がして!)など恐れ気もなく口にする彼女は、その美貌の三分の一には白痴美が含まれている気がした。それだけに彼女には女の聡明さも欠けているかわり、女らしい小意地の悪さや粘った陰険さもなく、まったく野放図な無邪気さがだらしなくフワフワしているのだと思った。それから三十数年経た今も私は彼女は憎めないだらしのないお人好しだったと信じている。これは、反感を抱くまでもない、見下しているだけだろう。
そして、そうした山田順子の文学にたいする評価は、山田順子を愛した自分の師匠にたいする猜疑にもつながりかねない。なにしろ、山田順子の「甘ったるくてとても読めやしない」小説の出版社に紹介したのはその師匠なのだから。
ところで先生は彼女順子の原稿を読まれても(彼女の美貌ほどに彼女の文学に興味はもてなかった)と後年その告白的作品に記述していられる。彼女には、「ゲイズツ」や文学の素質はなかった。それでも、すでに新聞に写真入で紹介された老大家の若く美しい愛人の小説なら、出版社も売れると踏んで、出版を請けたのだろうと、吉屋信子は言いたいのだ。さらに、先生は、愛する女にいいカッコをしたかったから、出版社を紹介したのだと。
先生は彼女の最初の訪問の時から(幽艶な姿に何か圧倒的なそれを仄かに感じていた)とも告白されているが、その(幽艶)の文字の形容はどうであろうか。もし彼女に幽艶さがあるほど陰翳のある美女だったら、彼女自らの運命をもう少し賢く支える女の知恵を持っていたと思う。どう思っても彼女の美貌には幽といった感じはなく、むしろ百ワットの電球のようなパアッとした形も含みもない開けひろげの明るさだった。それは、徳田秋声の女性観の否定といってもよいが、だがわざわざ吉屋信子は「(幽艶)の文字の形容」とまで書く。吉屋信子は師匠の「形容」まで否定的に書いている。形容に問題があるというのは、まさに文学の根幹にかかわる否定ではないだろうか?
山田順子の存在、その美貌は、吉屋信子に、その師匠(徳田秋声)への猜疑をも植えつけてしまったのだ。
ちなみ、山田順子は「やまだじゅんこ」ではなく、「やまだゆきこ」と読むらしい。なるほど、可愛らしいお顔をしている。

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