ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。

2011年1月23日

黒縮緬の女(西條八十)

女妖記」はまだまだ続く。

「黒縮緬の女」もまた、西條八十若き日の出来事だ。それも、たった一日だけの女。

三社祭の招待状をもらって、ふと思い出したのが、黒縮緬を羽織った女のことだが、それはまだ「ぼく」が二十四五歳のことだという。
 おもいでは風のように来る。
 今朝浅草神社奉賛会から三社祭への招待状を貰った。
 どうせ今年も忙しくて行けないのだが、それをひろげて読んでいるうちに、ふと忘れていた女妖のひとりを想いだした。出逢ったの場所は浅草の六区だった。まだ二十四五。大学を出たての頃。
書き出しのワンセンテンスによる段落が、まるで詩で、すると、最後のふたつのセンテンスは、箇条書きのようにも、体言止めになる。説明に終始しているようにも、テンポを刻んでいるようでもある。
ところが、その後は、二十四五歳という、まだ詩人にならない頃を説明せざるを得ず、それにかまけてしまう。

なるほど、「ぼく」とはその名声によってもてたわけではなくて、もとよりもてる男だったらしい。
 その女は手すりに身を乗りだし、誰かをさがすように下の客席を見ていたが、やがて大袈裟な手ぶりで「おいで」「おいで」をやった。すると、ぼくの左手の階段から、大柄な、丸髷を結った女が上がってきた。色白で、肉づきのいい女で、歳(とし)は二十七八、黒縮緬を着ていたようにおもう。ちょっと河合武雄の舞台姿を想わせる美人だった。
 それが痩せっこけ女と並んで坐って、しばらく舞台を見ていたが、やがて、どちらとなくちょいちょいうしろを振返る。そしてなにかささやき合っている。二三度、それが繰返されるうちに、ぼくは、かれらの注意の焦点がぼくだということがわかった。
 その頃のぼくは、高貴織と呼ばれた縞の和服の着流しに、角帯に雪駄。翡翠の指環などして一見道楽者の恰好だった。ところで、これは当時遊蕩に亡父の全資産をつぶして、家出した長兄の残したものをそっくり借用していたのだが、そんなことは他目(よそめ)にはわからない。きっと女たちにはぼくが若い道楽者のお坊ちゃん位に見えたのだろう。
だけど、やっぱりここでも、「ぼく」は「ぼく」をうぶだと言う。
 ところで、ぼくはその女たちに興味が無かった。興味が無いと言うより、まだうぶで、そんな世界は遠くおそろしい時代だ。それで、舞台の演芸もさほど面白くなかったので、席を立って、おもてへ出た。
これは上に続く段落だ。すなわち、「ところで」という接続詞が、接続としてやけに不恰好なまま、二度までも出てきているのだ。どちらも、不適切な接続詞としか思えない。それでも、改行後の段落はじめの「ところで」はまだ不適切ということもあるまいが、最初のほうは明らかにおかしいし、そうしたおかしな接続詞をまるで強調するように、もう一度書く点で、なんとも不可解な文章だ。
おそらくは、遠い記憶を辿る、その曖昧さの表出なのだろう。ふと、上を見返してみれば、タイトルにし、さらに名をしらぬままだったから、その後はそれをただ黒縮緬の女と呼びながら、彼女登場の場面では、「黒縮緬を着ていたとおもう」と言っていたのだ。

だが、ここからが、面白い。というか、またしても、女がすごい。
これはページ数も短いし、出来事も一日の物語で、あまり書いてしまうとこれから読もうとするものの興を削ぐことこの上ないので、やめておこう。
ただ、一度は逃げ出した「ぼく」が、どうしてその女と同道するのか、その場面だけ、書き出そう。それだけでも、女の面白さの一端が窺えるはずだ。
ちなみに、上に書き出した、「おもてへ出た」に続く場面だ。
 瓢箪池の水がまだ青々と見えていた時分だ。池ぞいにぶらぶら歩いて、ちょうどいまの日本館の角あたりへ来たころだったろう。突然、うしろから、
 「やなぎ」「やなぎ」
 と、大きく呼ぶ女の声がした。
 おもわず振返ると、今しがた色物席の二階にいた、あの二人の女が二三間うしろに立っている。ぼくを呼びとめているのだ。
 ぼくの名は「やなぎ」では無い。
 ところが呼びとめた二人が、いかにもぼくを見知っているように近づいてくるので、ふと悪戯心がわいた。
 「よし、むこうがそう思っているなら、ひとつからかってやれ」
 これは、もちろん酒の酔いのせいだった。
 ぼくは勇気をだして、こっちからも近づいて行った。
 「なんだ。(やなぎ)じゃないか」
 と、黒縮緬が、まじまじ顔をみつめて言った。
 「どうも済みません」
 と、面白半分、ぼくがあやまった。
 それから、たいした会話もなしに、三人は肩をならべて、いまの鮨屋横町をぬけて通りへ出た。と、
 「(やなぎ)、時分どきだ。おまえ御飯つきあわないか」
 と、黒縮緬が言った。
 「けっこうです」
 ぼくは大胆に答えた。
言うまでもなく、黒縮緬の女も彼が「やなぎ」でないことなど知っているのだ。
そして、このキップ。二十七八で黒縮緬を羽織った女とは、いったい何者なのか? そのサスペンスだけでも、読まされてしまう。

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