ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。

2011年1月24日

「女妖記」(西條八十)読了

女妖記」の残り4篇を一気に読み終えてしまった。
読了の雑感から、この記事をはじめる。

「現実は小説よりも奇なり」という言葉がまかりとおっている。
もちろんそんなことはないのだけれど、例えば、「黒縮緬の女」にせよ、この「濹東の女」にせよ、小説として見たとき、いかにもありそうな、お話で、それが西條八十という著名人が現実に体験した出来事だったという保障があればこそ読ませる、という意味でも、小説(創作)と現実の境界線は、それを読むものの意識に、ある種の差別化をもたらしている。
それは私小説という言葉にしても、たぶんにそうした差別化の恩恵に浴しているだろう。
そのうえで、私小説をふくむ小説が、まして、幻想小説などとの奇想の小説ではなく、現実世界を舞台とした小説が、現実を凌駕できるとしたなら、それは文章によるしかないはずだ。

いやところが、かならずしも、そうではない。
そもそも「現実は小説よりも奇なり」というとき、なにが奇なのかと問えば、そこにある出来事とその連鎖としての物語のことにほかなるまい。そもそもそこには、文章を読むという体験は捨て置かれている。
物語と出来事をいかに書くか、という点で、小説は現実の先鋭化であるといってもいいかもしれないが、さらに、ここに人物(人間)という小説(文章)のパーツを考えたとき、例えば、この本で「女妖」と呼ばれる女性たちの魅力は、いわば現実の側にあり、物語、出来事のものかもしれない。そして、それを語る「ぼく」あるいは西條八十は、その語りようにおいて、小説の側にありそうだけれど、やはり、それが西條八十であることとあいまって、やはり物語の側にもたぶんに関係している。
それは、例えば、これまでの諸篇でも、私たちがよくしっている名まえや、よくはしらなくても、かつて有名だった名まえがたびたび書かれ、そうした名まえにたいする興味すら引き起こしているとおりだ。

すなわち、「濹東の女」といえば、西條八十のサービス精神は、永井荷風を召喚せずにいない。いや、そもそもそのタイトルがすでに、永井荷風を連想させるように書いている。

 永井荷風が死んだので、「濹東綺譚」を想いだし、それから若い日に歩いたあの玉の井の私娼街を想いだした。
とはいっても、どうやら「ぼく」は荷風をしらない。しらないが、むしろこの本が芸妓を多く扱っていることからも、荷風の一連の作品を意識しているのだろう。
 ぼくが書いた流行歌「涙の渡り鳥」や「島の娘」の作曲で有名な故佐々木俊一も、玉の井通いの常連だった。あの「涙の渡り鳥」の感傷的なメロディーも、一夜この私娼窟で生れたと、かれはぼくに口ずから語った。そこの汚ない一室で、帰ろうか、それとも泊ろうかと思案最中、夜ふけの雨がパラパラと二階の板庇にあたって、とたんにあのメロディーが浮んだというのだった。
玉の井の女を書こうとして、それなら荷風に敬意を表さずにはいられず、だけど、じつは八十には荷風についてさしたるネタがなかったとみえて、佐々木俊一の話になる。それもこれも、西條八十のサービス精神に見える。
が、そうではない。
 「濹東綺譚」が出て間もなく、ぼくは真昼間あの私娼街を歩いていて、巡査につかまったことがある。それは乳母の墓参の帰途だった。ぼくの乳母は落語家談州楼燕枝の実母で、その墓は向島の小梅の常泉寺という古刹に在る。そこへ詣でてから、ぼくは玉の井を通った。そして荷風のあの小説の初めに出てくる古本屋の店をちょっと見たいと思い、歩いて行くと、一軒の派出所の前で中年の巡査に呼びとめられた。挙動不審のかどで、取調べると言うのだ。
荷風に会い見えることがなかったとしても、荷風の作品を契機として、西條八十という人物が動いたという文学的トピックが語られれば、ここにはやはりゴシップ的な、サービス過剰の出来事が生まれるだろう。

それなら、この1篇は、ゴシップが目的だったろうか?
およそ、そもそもこの本の成り立ちが、そうした興味を刺激するところに発している。
この1篇もそれに準ずるにすぎない。
が、それ以上に、やはり書き出しがすべてではないかと思わずにいられない。すなわち、「荷風が死んだ」こと。

率直にいってしまえば、この1篇に登場する「濹東の女」は、「女妖」とはいい難い。女の魅力で読ませる物語とはいい難く、むしろ、苦界の女の哀れだ。そこに、シモネルという黒人の「マダガスカル島の或る州の公吏」と、女のヒモが活躍する物語だ。

この本の主旨を無視して、あくまで荷風の死に際し、玉の井の話を書いただけだったように思える。


次の「枕さがし」は、よいタイトルだと思う。枕さがしという言葉は、ここまでにも出てきている。当然、その枕さがし、旅館などでひとの寝入った隙にその持ち物を漁る泥棒女が出てくるだろうと思う。見事に騙された。
そして、遣り取りがとてもよかった。最後の女の心変わりにも、ゾクッときた。そう、こんなきっかけで、ポンと気もちが変わるのだよね、と妙に納得してしまった。


「ネルケの花」は、これこそ、現実のすごさに圧倒される。出てくる名まえと、その時代にその顔を見ることに圧倒されてしまう。
時は1936年、場所はベルリン。そう、ベルリン・オリンピックが背景だ。
ナチスの面々を、その時代に見る視線を体感する、これでは現実にはかなわないと思ってしまう。あるいはヨーロッパに行くにあたり「ぼく」が持っていたという紹介状の、その宛名のあまりに錚々たることといったら・・・。
だけど、同時に女妖がそこにいる。ただ若く美しい女が、女妖になるとき、だけど、そのまえに、「ぼく」は言っている。
 贅沢な話だが、ぼくはもうベルリンでの、競技観戦と、酒と女にすっかり堪能し、同行の江口夜詩が待っているパリへ移りたくなった。それに、正直、金もとらずに付きまとっているマルセルに、或る底気味悪さをも感じ出してきたのだった。
そして、
 手品のたねは割れた。夢は去ったのだ。それにぼくは、正直、久しぶりで独りでのびのびと寝たかった。
強がりに見えなくもない。


「復讎」は、なかなか怖い。これはいやな復讎だ。
そうなのだが、このタイトルはない。せっかく後半にきて、「枕さがし」「ネルケの花」と素敵なタイトルになったというのに、なぜ最後の最後でふたたびネタばらしなタイトルになるのやら・・・。

そう、この小説群は、ネタがばれるのが惜しい質の小説、エンターテインメントだったのだ。残念ながら、けしてそれ以上ではなかった。

最後に、西條八十による「あとがき」の最初のふたつの段落を引用しておこう。さもありなん。
 ぼくは生れつきの野暮天で、唄もうたえなければ、踊も出来ない。それで酒の座などで、そういう必要のあるときは、いい加減な小話めいたことをしゃべってお茶を濁す癖がある。どれも多少身に覚えのある艶話なのだが、尾鰭をつけて、たびたびしゃべっているうちに、どこまでが事実だか、フィクションだか、自分にもわからなくなってしまう。そのうち、そんな話を洩れ聞きしたわるい人があって、まとめて書いて見ろと注文してきた。二三回ならと思って書いているうちに、だんだん長くなってこんな本になってしまった。お恥かしい次第である。
 しかし、女を対象にした、これらのコントを書きつづけているうちに、こわくなったのは、これまで気づかなった自分の、女性に対する興味、態度、考えかたというようなものが、はっきり自覚されて来たことだった。これにはあきれもし、淋しくも、おかしくもなり、たしかに処世の勉強になった。
自身にすら未知の西條八十という人物が顕われながら、なお、それはフィクションとのあわいに存在する物語、出来事なのは、それが言葉に乗って語られていったからにほかならない。
あとから思いかえすとき、自分のことならなおのこと、言い訳がましくもなり、わかっていたつもりにもなる。

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