ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。

2011年1月22日

水戸の狂女(西條八十)

女妖記」の面白さは、じつは、それが実在した女妖と、有名な詩人の情実だと言う、はたして、どこまで信じていいのかわからない保障によるのかもしれない。

「水戸の狂女」は、そのタイトルのとおり、やがて狂女となって、病院に入る水戸の芸妓の話だ。しかし、そこに表れる狂人の姿は、どこかで見たような、どこかで読んだような、凡庸きわまるもので、詩情もなにもない。
この一篇は、それが「女妖記」と名づけられていればこそ、彼女がその後狂女になったから、書かれたのかもしれない。もしかしたら、吉勇のように「ぼく」が情をつうじた女は、数知れなかったかもしれない。

それなのに、吉勇が病院に入って以降のほうが、面白くないのだ。やはり「ぼく」の在りようこそ、この本の魅力だと言っていい。
いや、かならずしもそうは言えない。女の魅力ももちろんある。ただ、今回は、彼女がやがて狂ったことが、要になっているようだけれど、それは彼女が「ぼく」と別れて後のことなら、まして、その様子が凡庸でもあれば、さして面白くもなく、それならいっそ、彼女のその後はもっと簡潔でよかったように思う。

「ぼく」は、まだ若かったこともあるかもしれないが、やっぱり、カッコつけながら、女好きなのだ。
それはまだ「ぼく」が二十八九歳のころだという。水戸の田舎詩人・大関五郎に講演を頼まれて行った先で、「ぼく」は吉勇と出会う。
 ところで、当時のぼくはごくうぶで、酒は一滴ものめず、それに大の宴会嫌いだった。なんとか口実を設けて、出席を断り、独りで料亭の二階で炬燵にあたっていた。
 すると、思いがけなく襖があいて、一人の芸者がはいってきた。そして、
 「あら、おひとりですの。…鼡(ねずみ)にひかれそうですわね」
 などと馴れ馴れしく言いながら、さしむかいで炬燵にはいった。
斜体字の「うぶ」は、傍点が振られているのだが、「うぶ」とは酒が呑めないことかもしれないとは思いつつ、ところが、ここでも、「ぼく」が吉勇に親しむきっかけを見ると、
 もちろん、それは冗談で、本沢はその写真を呉れて帰って行ったが、そのあと、書斎で独りその写真を見直しているうち、ぼくはなんとなしに自分に縋るようにしている女の寝姿に愛情を感じた。同時に、あの暴慢な田舎編集長への反感がむらむらと湧いた。
 「あんな奴に嘗められてたまるか。よし、疑われた以上、出掛けていって本物にして来てやる」
 まったく若い時代の気持は面白いものだ。そんなことで、ぼくはその日だったか、翌日だったか、また、汽車で、のこのこと水戸へ出かけ、とうとう吉勇と馴染んでしまったのだ。
田舎編集長へのあてつけからはじまったというのだ。
それが、自分と女のふたりが並んで添い寝する写真を見ながら思ったことなら、たしかにこれも正直なことなのだろう。いわば自分で自分に言い訳しているようなものではないだろうか。嘘吐きとは、往々にして、こんなものかもしれない。本人に嘘のつもりなどなく、たしかに嘘ではないはずだけれど、傍目には言い訳や、嘘にしか見えない。桔梗の虚言癖を書きたてながら、「ぼく」の書きぶりも彼女と大して違いやしない。

ところで、タイトルにまでしてしまった狂女である。それだけが、書くべきことだと思いこんでいるようにも見えなくはない。吉勇には、他には書くべきことはない、と。
だが、そうではなくて、やがてその狂うことにも繋がる(らしい)吉勇に固有の性質が語られることになるのだが、それでもネタが足りないと「ぼく」は思ってしまったようにも、興味深い名まえが頻出してくる。
 またそうした水戸通いのおかげで、ぼくはそこで先輩詩人の野口雨情や、磯浜うまれの詩人山村暮鳥に初めて逢った。
この小説を書いたのは、他でもなく西條八十なら、若い彼が野口雨情に会った話などは、やはり興味深いし、それだけではない。「ぼく」は雨情に心酔していたが、雨情はその頃、水戸に引っ込んでいたのを、中央詩壇へ引き戻したのが、「ぼく」だというのだ。
 ぼくはその雨情に会い、「下総のお吉」と「雁」という二篇の民謡詩をあずかった。雨情はそのとき、「この二篇を足掛けにわたしは中央詩壇へ復活したい。ぜひ助力を頼む」と、茨城弁で切々とぼくを口説いた。ぼくは帰京して、さっそく雑誌「文章世界」の編集者加能作次郎を訪ね、その二篇の詩は、間もなく「文章世界」に掲載された。童謡作家として今日ポピュラーな雨情の第二の創作期は、この頃から始まったのだった。
このとき、この段落の最後を「こうして始まったのだった」ではなく、「この頃から始まったのだった」と書く「ぼく」は、はたして遠慮がちと言えるだろうか? 遠慮するなら、こんなことは書かなければよい。いかにも、雨情が泣きついてきたので、俺が世話してやった、おかげで、あの童謡が生まれた、みたいなこんな話を書くこともない。それでも、やはり「ぼく」は、「ぼく」がいなくても、世話しなくても、雨情は第二の創作期を迎えていただろうとか、あるいは、「この頃」というなら、その時期に多少のズレを感じているということなのかもしれなくて、ようするに「ぼく」は臆面はないが、いたって正直だと言える。上に書いたことと矛盾するようだが、自分に正直になるほどに嘘をつく、自分にとってそれは嘘ではないのだ。もしかしたら、桔梗よりよほど質が悪い。
そうした正直さが、女のこととなると、やはり何かがおかしくなる。
 話はそれたが、ぼくはそんな風に水戸や東京で吉勇と附き合っているうちに、彼女の性格の中にすこぶる奇妙な点を発見するようになった。それは彼女が、一面芸者らしい派手っ気な性質を持ちながら、その反面金銭に対して非常にユダ的執着を持っていることだった。手取り早く例をあげれば、吉勇はぼくに惚れたといって頻々と東京へ逢いに来ながら、その帰りにはかならずぼくから、それだけの遠出の玉代をきっちり取り上げていくのである。
 こう書くと、読者は、きっとこれは、ぼくが甘くて騙されていて、結局絞られていたのだと解釈されるだろう。ところが、事実はそうでも無いのだ。ぼくは当時やっと世に出たばかりの貧乏詩人で、到底金銭づくで彼女の対象になるような存在ではなかった。おまけに彼女は現金で無い贈物なら、相当鷹揚にくれる。彼女からプレゼントされた、あまり上質ではないが、かなり大きな人造真珠のネクタイ・ピンや、お互いの頭文字を金で入れた赤銅のシガレット・ケースや、そんなものは今でもぼくの手もとに亡き形見として残っている。ただ、現金についてだけ病的にうるさいのだった。
私自身に係わる感慨が沸き起こらざるを得ないが、また、「黒髪」などを思い浮かべ、貧乏かどうかは関係ないだろう、取れる範囲で取ろうとする、その見極めをしながら、多くの男からそうして金(売上)をせしめるのも、彼女たちの器量ではないかと思うし、「現金で無い贈物」は現金を使わずに手に入れるのか、と首も傾げるわけで、それを「ところが、事実はそうでも無いのだ」と言い切れてしまう「ぼく」に、苦笑してしまう。

ところで、この吉勇の金銭に関する「病的」な点こそ、この一篇のすべてである。「ぼく」は思わず、それを「病的」と書いてしまったのだろう。

まず、そうした吉勇の金銭への執着が、ふたりの別離を招く。
だが、そのとき、吉勇の執着ばかりが原因ではない。「ぼく」の金銭感覚の異常さもかかわっている。そう、金銭感覚の大きな乖離がふたりにはあった。
 その日、吉勇は、たまたま、なにか歳末の買物に上京して、その序にぼくと落ち合った。ふたりは夜の銀座をそぞろ歩きしていた。すると、ぼくが突然おもいだして、
 「これから、おもしろいことをやるから、見ておくれ」
 と吉勇に言った。
 「なにするの」
 ぼくは左手に抱えた紙包みを見せた。
 「なにがはいってるの」
 「ハンドバッグが七つ、はいってるんだ。これをこれから川へ流すんだ」
 「えっ、なんで、そんなことをすんの」
 「まぼろしの七人(ななたり)の乙女へのプレゼントだ。ぼく、クリスマスの晩には、いつでも独りでこれをやるんだ」
 ぼくたちは銀座裏の三十間掘へきた。そこには、たしか、水谷橋といったか小さな橋が掛っていた。
 橋の上でぼくが紙包みをひろげ、買い集めた革や布製のさまざまな型(かたち)や色の可愛いいハンドバッグを見せると、彼女は、
 「まあ、もったいないわ。なんでそんなことするの」
 と、咎めるような目で、また訊いた。
 ぼくには若いときから、こうした病癖がある。うまれつきの幻想愛好者(ヴィジオネール)とも言うのであろう。ときどき独りで現実から逸脱した行為をしてこころ楽しむのである。信州の山の渓谷に、とても美しい電気スタンドを投げ込んだり、上野の水上公園の白鳥に、ビスケットの餌とともに新しいパーカーの万年筆を与えてみたりする。そんなとき妙に気持がすっとして、或る詩を空中に書き得たような気になるのである。
梶井基次郎の「檸檬」を思い出すような、いかにもいやらしいまでに詩人だが、そうなると、やはりというべきか、お仲間の名まえを、言い訳がましく持ち出してくる。
 むかし、或る未知の女が訪ねて来て、ティーン・エージャーの頃、大磯の旅館で、竹久夢二に処女を奪われた話をして帰って行ったことがあった。そのとき、夢二は、旅館の部屋の畳一ぱいに、正真の赤い薔薇の花びらを敷きつめて、その上で彼女を抱いたと言う。
 ぼくにはそんな罪な芸当は出来ないが、とにかく折々それに似た逸脱をやるのである。クリスマス・プレゼントのハンドバッグの数を七個にきめたことには、少年の日親しんだ新約聖書ヨハネの黙示録の影響が多分にある。その黙示録を仔細に講義して、ぼくに忘れがたき影響を与えたのは、あの弘前生れの頑固一徹な牧師中田重治だった。ぼくの初期の詩集「砂金」には、イメージや措辞の上で、この講義の影響が尠からず顕れている。
だが、金に執着する吉勇が、これを認められるわけがないではないか。そこに気がつかない「ぼく」は、吉勇のことなどまともに考えていない証拠ではないだろうか。
「ぼく」とは、なんと、わがままでひとりよがりなナルシストなのか!
 「あなたとわたしとは、まるっきり人種が変ってるのね。それだけのお金をわたしに呉れればいいのに。あなたみたいな気ちがいじみたひと、大嫌い。第一気味がわるいわ」
 と言うような捨台詞を言った。そして現実主義者(リアリスト)の彼女は、そこから、上野までぼくに送らせて、夜汽車でさっさと帰ってしまった。
 ぼくはその夜ぎりで、吉勇には会わなくなった。その後しばらくたって、会ったときには、彼女のほうが完全な狂女になって、精神病院に居たのだ。
「気味がわるい」ほどに「気ちがいじみたひと」だから、「彼女のほうが」と書くことになるわけだが、すなわち、自身もまた、自分の異常性をしっていた。かつて、吉勇を「病的」といっても、それが彼女の精神異常とは言い切れなかった。
だが、それより、こんなふたりがうまく行くわけがないし、それより、「あなたとわたしとは、まるっきり人種が変っている」という吉勇のほうが、「ぼく」よりよほど、ふたりの関係を考えていたと言えるだろう。

では、彼女の狂気は、どんなものだったろう。
 とにかくその三面記事を見て、ぼくは愕然とした。「美妓吉勇発狂す」というような見出しで、彼女が水戸の花町にある或る神社の境内で、札束を山にして焼いていたことが書いてあった。当時のことだから、五円札か十円札だろう。その真新しい束を人気のない境内で、マッチで火をつけて、燃えあがる様を、ニヤニヤ笑って見ていた。それを通行人が発見したのだ。そして、吉勇はさっそく精神病院へ収容されたと書いてあった。
 それを読んで、ぼくは直ぐにあの吉勇の、五万円貯蓄の理想をおもいだした。きっとあのばかげた理想のために、あれからむちゃに体を売って稼いだあげく脳黴毒にでも冒されたのだろうと想像した。
やはり、金が問題だったのだ。だが、それでも「ぼく」の想像は外れている。彼女の狂気は、脳黴毒によるのではなく、ヒステリー性のものだったというのだ。
しょせん、というべきか、「ぼく」は吉勇をわかっていなかった、ということだろう。あるいは、「ぼく」は女を知ろうとなどしていなかったのではないか、とさえ思えてくる。

ところで、上には狂気の描き方が凡庸でつまらないと書いたが、じつは私は、精神科の病院に勤めていた時期があり、それだけに、「こんなもの」と思ってしまった可能性はぬぐえない。あるいは、またしても教養をひけらかす「ぼく」に、自分で書けよ、と反感を抱いてしまった面もあるかもしれない。
 ぼくは心の中で、学生時代に読んだガルシンの「赤い花」という小説。――狂人が、深夜、一定の時刻になると正気に立ちもどる。そして常人の意識で、我家のことなど考え、病院から脱(のが)れ出たいと思うのだが、明け方にはまたもとの狂人に還ってしまうという話や、また、一夜、誇大妄想の狂人を看護してその病室に泊った親友の男が、その狂気に感染して、翌日は、その狂人を国王のごとくあがめて、鞠躬如(きっきゅうじょ)としてそのあとに従い、病院の庭をうろつき廻るというゴーゴリの「二狂人」の話などをおもいだしていた。
「赤い花」(神西清訳だと「紅い花」だね)は凄く面白かった記憶があるけど、「二狂人」は記憶にない。というか、どちらも露文なのが、気になる。

ともかく、「ぼく」の優しさも、彼のナルチシズム発現のものにしか思えなくなってきた。西條八十がナルシストであることは間違いない。
と、大胆に言い切ってしまう。

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