ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。

2011年1月21日

李姿鏡(西條八十)

「李姿鏡」は、「女妖記」の5篇目にあたり、"李姿鏡"は、ひとの名、朝鮮人の女性の名だ。
「ぼく」は当初、その名まえに魅了されて、ふたりの関係ははじまる。
だけど、この章は、李姿鏡の魅力もさることながら、これまで読んできた諸篇を踏まえて、西條八十、あるいは「ぼく」への興味が湧いてきていて、それを読む楽しみがあった。
 今ならファンと呼ぶのだろう。若い頃、ぼくの抒情詩にあこがれて、手紙をよこす女性の数は実に多かった。その手紙の中で、特にこころに残ったものだけを、ぼくはなんとなしに、幾つもトランクに保存しておいた。
 日夏耿之介はよく「君が死んだら、そのラヴレターでぼくが張子の仏像をつくってやる。そして銘を入れて(色仏)と名をつけてやる」と冗談を言ったものである。ぼくは戦争中、疎開するとき、それを庭で焼いたが、時間がかかるのにおどろいた。
日夏耿之介の言葉としてだが、「色仏」などと書いて、いよいよ正直に本性を顕してきた気配がある。
日夏耿之介にそんなことを言われるほどに、「ぼく」の女癖の悪さは、有名だったのだろうし、それなら、こうした著作の執筆の依頼も、それを踏まえた編集者があったからではないか、とさえ思えてくる。

ひとたび正直になってみると、普段は相手にしないはずの一ファンの会いたいという言葉に、いそいそと出かけていく「ぼく」になる。
 そのうちにその娘は、とうとうぜひ一度逢いたいと言ってきた。ぼくは逢ってもいいような気になって、銀座で昼飯を喰べようと返事した。時刻は正午、場所は当時、モダンな喫茶店の一つだった「モナミ」の二階食堂だった。むこうからは非常に喜んだ返事が来て、当日は目じるしに、胸に赤い花をつけて現れるとあった。
 ぼくは未知の女とはほとんど自宅以外では会ったことがないのだが、このときは、たしかに李姿鏡というきれいな名の魅惑に掛っていたのだろう。いつか、長身白衣の胸に紅花を飾った、明眸皓歯の妓生(キーサン)姿などを心中に描いて、すこし早めに「モナミ」の二階へ上った。
それでも、「ぼく」は「ほとんど自宅以外では会ったことがない」というのだが、このとき、かぎ括弧を省いたままの女の科白は、「逢いたい」だったのが、自分の言葉としては「会った」に、「逢」が「会」に摩り替わっている点が、面白くはないだろうか? 自宅以外では会ったことがなかった女たちと、李姿鏡が、ここですでに差別化されている。そして、「逢いたい」と言ったのは、あくまで李姿鏡なのだ。「会いたい」ではなく、「逢いたい」と・・・。それは手紙の遣り取りだから、実際に李姿鏡は「逢いたい」と書いたのかもしれない。だが、それなら、なぜ「ぼく」は「逢ったことがない」と書かなかったのだろう。李姿鏡という字面に魅了され、「明眸皓歯な妓生姿」を思い描いていたから、それはすでに「ぼく」にとって、ほかの女とは違う存在だったのだ。

ところが、いうまでもなく、名まえが美しいからといって、かならずしも容姿も美しいわけではない。
 「ただいま、お見えになります」
 その言葉が終らぬうち、階段口に現れた彼女を見て、ぼくはおもわず冷汗が出た。
 おそろしく大柄な女で、ほとんど原色にちかい青色のドレスを着ている。そして、胸のあたりに約束通り赤い薔薇の花の大きなやつを飾っている。もちろん美人ではない。いわゆる盤台面というひらべったい顔、それに目だつ、ばかに目だつ。実に毒々しく白粉を濃く塗りこくっている。
勝手な妄想で美人とのひとときを期待して、見事にはぐらかされた格好だが、まったく勝手な妄想だったのだから、仕方ない。
そして、この一篇は、「ぼく」の妄想のお話になっていく。
というか、ようするに「ぼく」って、大層なスケベだ。
 とにかく、これが彼女と逢った最初だった。そして、彼女はぼくの印象が好ましかったと見え、その後は一層頻々と手紙をよこし、自宅へも足を運んでくるようになった。
 もちろん不馴れな日本語で書くので、詩はまずかったが、故国の風物を詠うと、南大門の夕焼けのけしきとか、高麗鴉(かちがらす)とか、また河辺の洗濯女の姿とか、僕の知らない朝鮮人の発想がいろいろあって、読んで楽しかった。それに応接間のソファに並んでいると、なによりも魅惑的なのは、彼女のすばらしい肉体。ぼくは男として背は高いほうだが、彼女は負けない身長を持ち、実にふくよかな発達した四肢を持っている。乳房などは山のように盛り上っている。黒髪も濃く美しかった。それから、一種独特で、好もしい体臭があった。
仮にも詩人が、彼女の詩の話をしていると思ったら、肉体のお話になってしまう。それも、当初、彼女の大きさに臆するような、好もしからざるような書きぶりだったはずなのに、あたかも胸の膨らみに幻惑されたようにも、その大柄の身体を好もしく書くのである。だが、ふとこの引用部の最初のセンテンスを見れば、「ぼく」自身の言葉として、「彼女と逢った最初」と「逢」の字を使っているのだった。まるで、この字が呼び寄せたようにも、「ぼく」には彼女が魅力的に見えてくる。
 そんなわけで、だんだん親しむうち、ぼくは最初みにくいと思っていた彼女の容姿に次第に好意を感じてきた。家人たちも、彼女があまりに惜気もなく運んでくる半島のめずらしい織物や、菓子や、朝鮮人参などのみやげ物を、気の毒におもい、その頻繁な訪問にも、迷惑そうな顔を見せないようになってきた。
「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」などという俗諺を思い出さないでもない。
それはともかく、こうなると、もう「ぼく」の目は、ほとんど欲情のためについているようだ。
 蓼科の湯宿には、たいてい大きな野天の温泉プールがある。それは宿の二階の欄干から見おろされる中庭にあり、ぬるま湯で浴客や近傍の人たちがたのしげに海水着で遊泳出来るようになっている。
 李姿鏡は、来るなり、すぐにハイヤーを駆って、上諏訪の町まで水着を買いに出かけた。そして、戻るといっしょに泳がないかと、ぼくを誘ったが、ぼくが断ると、ひとりで泳いだ。そのとき、彼女はぜひ自慢の泳ぎを見てくれと、執拗にたのむので、ぼくは、プールの直ぐちかくの脱衣場までついて行って、そこでしばらく彼女の遊泳すがたを見物したが、泳ぎっぷりのあざやかさよりも、その豊満な肉体のすばらしさに見とれてしまった。色も実に白いし、脚の線など、まるで頬づけでもしたいほどきれいだった。
まったく言い訳がましく、いちいち彼女が見ろと言ったとのだと書き立てる。それも「執拗にたのむ」のは彼女だ。だが、「ぼく」はひと言も見物も一度でも断ったとは書いていない。あるいは、「まるで頬づけでもしたいほどきれいだった」という文節も、やけに回りくどい。
おそらくは、照れている。恥ずかしくて、しかたないのだろう。
それでも、ここまでくれば、もう「ぼく」のスケベ根性は隠しきれない。
 彼女の肉体美の魅惑は、その日の夕ぐれ、ふたりで貸馬(かしうま)にのって、山奥の真湯(しんゆ)や白樺湖畔まで遠乗りしたとき、ぼくを捉えてしまった。レディー・ファーストで、彼女は馬士(まご)に牽かれていつでもさきを歩いてゆく。ぼくはピンクのセーターに、宿の娘から貸りた乗馬ズボンすがたの彼女のふくらかな腰の線の揺曳に終始すっかり悩まされたのだった。
そして、さらに妄想へと突き進む。上に続くのが下だ。
 そのまぼろしが、夜になってまたぼくを悩ませた。
 李姿鏡は一泊の予定で来たので、その夜隣室に寝た。隣室と言っても、田舎の宿で襖一重である。寝息がきこえるほどである。
 ぼくとしては、相手が様子のわからない半島の娘であり、美しいわけでもないので、野心めいたものはなかったが、あのふだん直情径行な、そして多少野蛮めいたところのある娘だけに、ふとすると、
 「先生、眠れないの」
 などといって、深夜いきなり飛び込んで来るかも知れないという懸念があった。彼女がときどき詩を語りながらちらちら見せる燃えるような情熱的な眸(ひとみ)が眼前によみがえり、一瞬、くらやみの中で、懸念が期待に変ったりした。まったく、旅さきで一週間も独りぐらしした今夜、若い彼女が昼間見せたあのすばらしい肉体の線を裸(あら)わにしてはいって来たら、ぼくにはとても強いレジスタンスは出来そうもなく思えた。
相変わらず、露悪に染まりきらずに、いい訳めきながら、だけど、いまだ起きてもいない彼女の大胆を想像している。

はたして「ぼく」は、李姿鏡という女性を語っているという思いはあっただろうか? 語れていると思っていただろうか?
それでも、美しい場面がないわけではない。すこし遡る。
 いちばん印象にのこっているのは、或る夏、箱根の強羅ホテルに滞在中、彼女がひょっくり現れたことである。そのとき友だちを二人つれていたが、彼女たちは洋服でなく、そろって、珍しい色とりどりの朝鮮服を着ていた。そして、ぼくを誘って、ケーブルの中強羅駅のうしろにある原始的な森林を散歩した。
 森林をぬけて、高原へ出たところで、彼女たちは、ぼくのために朝鮮の郷土歌を合唱して聞かせてくれた。それは、あのアリランに似た、うら悲しいメロディーで、ぼくが草に坐して、うっとり聴き入っていると、その最中、突然山の驟雨がやってきた。
 そのとき、彼女等が衣裳を濡らすまいとあわててあの強羅の険しい山谷を、ホテル指して走りだした光景。色彩のうつくしい衣裳だけに、ぼくには、時ならぬ山のきれいな珍しい蝶々が、散り散りに舞うのを見るような気持がして、その印象が永く忘れられなかった。
抒情詩人なら、もうすこし書きようがあるだろう、と思う。しかし、むしろ、詩になることを避けたのではないだろうか? 自分は今、詩を書いているのではないという気もちが働いたのではないという気がする。

自分の色情と妄想のなかで、いやその外に、李姿鏡という女性が存在していた。やがて、そのことに、気づかされるのだ。すると、ただの描写も詩の姿になる。彼女の花嫁衣裳を書くとき、カタカナのルビが、音になり、詩になる。
気づきの場面、花嫁衣裳、それは引用しないでおこう。

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