ようこそ片隅へ・・・ ここは、文学の周縁と周辺を徘徊する場所。読書の記録と、文芸同人誌の編集雑記など。

2011年2月6日

ワルキューレの光(日野啓三)

ふと、先日、高田馬場BIGBOXの古本市で買った、日野啓三「天窓のあるガレージ」を開いて、巻頭の「ワルキューレの光」を読んだ。

物語だけを見れば、ようするに、オーロラを見に行った私が、結局オーロラを見損ねるだけの話だ。いわば小説と言うより紀行文といえる。まして、日本人が、北欧の小さな街で、その国の文化と出会う、いや、日本人であることがそこではズレてしまうことからはじまり、その国の文化を垣間見る、いわば異文化遭遇のお話なのだから、まさに紀行的だ。
それでも、その異文化との出会いが、描写のなかで、描写として描かれるとき、それが小説になる。


書き出しから、私は、違和感のなかにいる。
 コペンハーゲンでもオスロでも、私が尋ねた限り、オーロラを見た、という人がひとりもいなかったのは意外だった。コペンハーゲンは北欧といっても一番南の方だが、旅客機でちょうど一時間、北にのぼったオスロあるいはその近辺では時折見えるのではないか、と想像していたのである。
 多数の人にいちいち尋ねてまわったわけではない。たまたま話している途中で、思い出すと聞いてみただけだが、オーロラを見にオスロからさらに北へ、北極圏の町まで行くつもりだ、と言うと、誰もが驚いた顔をした。何をそんなもののためにわざわざ北極圏まで行くのか、というように。
これは極端にいうならば、いわば日本人ならだれでもカラテができるとか、ロシア人はみなコサックダンスを踊れるといった馬鹿げた思い込みに過ぎない。例えば私は、天城峠がどこにあるのかしらなかったが、「天城越え」という歌がカラオケ定番曲としてしられていれば、私のしる中国人の友人たちなどは、天城峠をひとつの観光地として認識しているらしい。はたして天城峠を目当てに、観光にそこまでかけた日本人というのは、どれだけいるだろう?
しかし、それはまだ違和感にすぎない。オーロラを見ることが目的化しない北欧のひとびとの在りようには出合っていない。むしろ、オーロラを見ることが目的化する自分(日本人)の側の異常さであり、それを異常なこととする北欧のひとびとの論理には出合っていない。
それでも、上のふたつ目の段落を見るならば、それがあたりまえに存在するひとびとにとって、海外からきた人間がわざわざ足を運ぶほどのものではないだろう、と思えているようにも読める。それよりも見るべきものはあるはずだ、と。そうではあるまい。なぜなら、「私」はオーロラを見たという人に出会ったことがないと言うのだ。彼らも、それを見慣れているわけでははい。むしろ見る必要のないものと認識しているらしい。
 そして実際に親切にこう教えてくれた人も何人かあった。北極圏まで行ったとしても必ず見られるわけではありませんよ、虹と同じようにいつだって出ているものではないし、第一、空が晴れ上がってなければ、たとえ雲の上でどんなに光っていても、地上から見えない道理でしょ、春の天候は不順ですからね。
そこへ行ったからといってかならずしも見られるとはかぎらないから、それを観光の目的にはしないという、現実的で合理的な理由によっている。
 でもやはり行ってみる、と私が答えると、商社の駐在員だったか、オスロの研究所に来ている学者だったか、笑いながら言った。
 まあ、これまでのあなたの行いが良かったら見られる、ということでしょうな。
それは異文化ではなかった。コペンハーゲンにせよオスロにせよ、「私」が尋ねた相手とは、「商社の駐在員」とか「オスロの研究所に来ている学者」といった、どうやら日本人のことだったようだ。いや、日本人とはかぎらないが、すくなくとも、その国の人ではないらしいではないか。
ズレているのは、文化ではなく、「私」だ。

「私」は、異文化との出会いを、自分流のやり方ですでに体得しているものだ。
 目的地まで飛行時間は約三時間である。フィヨルドの複雑に入り組んだ海岸線に沿って、旅客機は一気に北上する。私は落ち着いて、北欧神話の書物を読み続けた。外国を旅行するとき、必ず、その土地に関する本を読むことにしている。東京で何度読んでもよくわからなかったヒンズー教の本を、インドを旅しながら読んだら実に自然に実感できてからの習慣だった。
 北欧神話は世界中の神話の中でも最も好きなもののひとつである。氷と霜と霧の中からの世界創造、地下から天上までのびる宇宙木、知恵と記憶の二羽のカラスを肩にとまらせている片目のオーディンをはじめ力強く影濃い性格の神々たち、そして何よりの特長は「神々の黄昏」の壮絶な世界壊滅の物語をもっていることだ。
なんと書かれたものをつうじて、その世界観を実感するという。これは危険だ。出来事との出会いを、すでに書かれたもののなかに投影していくことになりかねない。
 ただヒンズーの神々が、いまも寺院に、遺跡に、人々の心と生活の中に生き続けているのに、ここ北欧では十世紀前後ごろ南から伝わったキリスト教によって、古い異教の神々はいわば根こそぎにされている。寺院の跡も神像もなく、完備された福祉社会の美しく漂白されたような人々の生活の中にも、古い神話の名残は、少なくとも一、二週間程度の旅行者の目には、全く認められない。
頭でっかちの旅行者が、そこにあるものを、既知のものとして納得ずくで辿る紀行文、これほどつまらないものはない。
 デンマークで古い王城を訪れたとき、偶然に見かけた一枚の絵が強く心に焼きついていた。誇らし気に十字架を捧げた神父と鎧姿の王が、畏れおののく民衆の面前で、多分オーディンと思われる巨大な神像を、綱で曳き倒させている光景を描いた絵だった。千年ほど前の、恐らく実際にあった光景だろう。案内人にせきたてられながら、薄暗い城内の部屋部屋を急いで通り過ぎている途中で、立ち止まる暇もなく目にしただけだったが、見てはならぬものを見てしまったような気分が濃く尾を引いて残った。仏教が入り儒教を受け入れても、神社を残し続けてきた日本人の心情からは、耐えがたくあられもないことのように思われたのだ。
ここに「日本人」という言葉が表れる。相対化がなされるわけで、なるほど、それは異文化との遭遇かもしれない。しかし、大きな頭は、たんなる相対化、差異化ではおさまらず、差別化をはからずにはいられなくなる。
 大体、神殿を壊し神像を曳き倒して古い神々を殺すことができるのだろうか。古い神々を殺すということは、心のおくの古い部分、根の部分を殺すことなのではないか。それにしてもキリスト教というのは峻厳な宗教だ。確か四世紀だったか五世紀だったかに、木や石や山など一切の自然物の崇拝を禁ずる法令のようなものが出されたはずである。その禁令からすれば、オーロラという自然現象に魅せられて――単にきれいだからとか珍しいからというのではなく、確かにそれ以上の神秘にひかれて、ユーラシア大陸の反対の端からわざわざこんなところまでやってくるという私の行為は、明らかに救い難い野蛮ということになるだろう。
やけに説教くさくなる。このとき、言葉遣いまでが、「殺すこと」「殺すということ」「殺すこと」などなど、なんとも生硬になるのもむべなるかな。

だが、こうしたやたらと説教くさく長い前置きが終わり、風景の中へ入ってくると、教養と呼び替えてもよいだろう大きな頭が、活きてくる。すでに書かれたものの中に投影される風景ということなのだけれど、それが上に見るとおりおおむね神話が主になっていれば、幻想性を帯びてくるのだ。
 いやな予感がした。本を閉じて窓から外を眺め続けたが、霧か雲はいよいよ濃くなるばかりだ。まるで神話のニフルハイム(霧の国)からじかに吹き寄せてくるような、冷え冷えと荒々しい白い流れだった。
 やがて急角度に高度を下げて、樹は雲の下に出た。雪に覆われた岩山、青黒く静まり返った入り江、冬枯れのままの暗褐色の荒地が急に眼下に開けたが、その一面に細かな白いものがちらついている。雪だった。
「雪だった。」というひと言を、最後にもってくることで、「細かな白いもの」を、一瞬とはいえ、得体のしれない"なにか"に見せる。その効果をもたらすのも、「ニフルハイム」という聞きなれない言葉のゆえだろう。
そうなれば、すべての風景が、なにやら異界めいてくる。
 空港からタクシーで丘ひとつ越えると、河口のような狭く切れこんだ入り江の岸に、小さな町があった。幾つか新しい鉄筋コンクリートのビルもあるが、あとはくすんだ色の煉瓦造り木造の地味な家ばかりだ。目抜き通りらしい道路を走っても、店が全部しまっていて、人通りもほとんどない。
 予約しておいたホテルは、ほぼ町の中心らしかった。予約してあるはずだが、と言うと、フロントの係員はカードをめくりもしないで、黙って鍵を渡した。こんな季節には客はほとんどないのだろう。フロントのすぐ横が食堂になっていて、漁船員か木こりといった感じの荒っぽそうな男たちが、粗い織り方の部厚い外套を着こんだまま、ビールを入れたコップをテーブルに置いて陰うつに黙りこくっていた。
まったく現実的な風景にすぎないのだが、それがなぜか異界めくのは、比喩と、「らしい」とか「ほとんど」、「といった感じ」などといった曖昧化のゆえだろう。
そして、このときに、そういえば長すぎる説教くさい前置きで忘れていたが、当初よりこの小説では、科白がかぎカッコでくくられることもなく、地の文章と地続きに置かれていることを思い出す。まるで会話などこの世界にはなかったようにさえ見せるそれが、なおのこと、この世界を幻想的に見せるだろう。
そもそも「私」とは、「単にきれいだからとか珍しいからというのではなく、確かにそれ以上の神秘にひかれて、ユーラシア大陸の反対の端からわざわざこんなところまでやって」きた者だった。

だが、「私」を包む空間は、ただ北欧神話の世界ではない。20世紀に生きる頭でっかちの「私」なら、ノルウェーについて、もっと別の知識をもっている。
いや、「私」の在りようにかかわらず、ノルウェーだから、それがある。
 室内にはシングルベッド、ソファー、テーブルに椅子と、ひと通りあるべきものはあるのだが、余分の装飾はなく、壁も天井も陰気な中間色、ただ壁に複製の絵を入れた額がふたつかけてある。オスロの美術館で実物を見たムンクの複製である。一枚は夜の雪の庭を描いただけだが、ぼんやりと影のような黒い庭木がどれも生気を帯びてゆらめいている。熱と光からくる生気ではなく、闇と冷気からにじみ出る陰の生気、庭の彼方の一望の雪原も、百夜めいた仄明るい夜空もゆらめいている。
 もう一枚も白夜らしい紫色の空と海を背景に、海辺の屋敷の庭で踊っている男女を、ムンク特有のの波打つような筆致で描いている。画面中央で、髪がなく眉毛もないみだらな仮面のような顔の男が、真白な服の女の腰を両手で抱き締め、いやがって逃れようとする女の顔に、赤く濡れた唇を推しつけようとしている。その横に黒いドレスの赤毛の痩せた女が、ひとりであらぬ方を見つめて凝然と立ちつくしている。だが草色の顔の男のみだらな振舞も、赤毛の女の孤独さも、彼ら自身の性格というより、あたり一帯の白夜の、昼でもなく夜でもない薄明の妖しさがかもし出すものだ、という印象を受ける。
ここでも、教養のある「私」は、ムンクの絵と奇跡の出会いを果たすのではなく、すでに「オスロの美術館で実物を見」ている。
いや、それ以前にすでに日本で、それらの絵を見ているのだ。
 日本でムンクの複製を見ながら、その狂気めいた雰囲気に「実存の深淵」といったような印象を覚えたものだ。オスロに到着早々美術館でこの原画を見たときも、まだ芸術作品として眺めたのだが、いま荒涼と仄暗い冥府のような町の中で、不意に彼の絵に出会うと、その異様な雰囲気が非日常というより日常、狂気というよりむしろ正気のように思えてくる。絵というより現実そのものが、額縁の中ではなく目の前に剥き出しになっているように感じられるのだ。雪夜の絵が、いま窓の外に連なる家並と岩山の眺めとそのままつながっている。活気の絶えたこの町の奥のどこかで、ひどくみだらなことが行われ、恐ろしく孤独な心が凍りついているように思われてくる。
それは、日本で読んでも理解不能だったヒンズー教の本をインドの地で読むことで、実感をもったというのと、まったくかわらない。そこにいかなければわからないなにかがそこにある。それはまた、特派員としてソウルやサイゴンから原稿を送り続けた日野啓三などといった、作家の経歴を思い出させもするが、あいにく私はそうしたものには興味がない。むしろ、このとき、芸術の現地性とでもいうべき「私」の実感が、逆に現実にそこにある風景を、芸術の、その創造性のなかへ送り届けていく様こそ、面白いと思う。現実の風景が、北欧神話やムンクの絵画の世界になっていくのだ。

すると、千年を生きつづけるホームレスと邂逅し、翌日にはユーラシアの東の端に帰るというのに、そのホームレスとの再開を約しさえすることにもなる。
このとき、科白にかぎカッコを省いたことが、有効に機能してくるだろう。

でもな、やっぱり最初のお説教は、なんとかならないものか・・・。

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