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2011年1月14日

放火魔たち(マルセル・シュオブ)

マルセル・シュオブ「乱世綺譚集」の「放火魔たち」を読んだ。
この本に収録されている小説は、きわめて短いため、あっという間に読める。
また、どうやらこの本は、いわばシュオブによる「悪党列伝」のようだ。
「悪党列伝」といえば、いわずとしれたホルヘ・ルイス・ボルヘスで、ボルヘスの「悪党列伝」は、例えば、ビリー・ザ・キッドや吉良上野介もいる、時空を超えた悪党たちの列伝だが、こちらは、中世フランスの悪党ばかりのようす。

だけど、この「放火魔たち」は、たしかに、悪党ではあるけれど、はたして、ほんとうにフランス中を恐怖に陥れた放火魔だっただろうか?
おそらくは、いや、たしかに彼らは放火魔だったのだろう。作品タイトルが、「放火魔たち」というのだし、どうみても、この小説の主人公は、コラール、トルテニュ、フィリポの3人なのだから。いや、それでもまた、わからなくなる。

といっても、8P、いや、空白部分を考慮すればほんの7Pほどのこの小説の中で、彼らが登場するのは、4Pを経過したのちだ。それは、これまでのこの本の在りようと同じである。それまでのページで、シュオブは、その背景を描写する。描写と言っても、むしろ歴史的な背景の説明といったほうがよいだろうが、シュオブは、悪党ばかりを書くことを主にしていたわけではないと思える。もっといえば、人間を書くことが目的ですらなかったのではないか、とさえ思う。
いわば歴史書の細部を埋めているのではないだろうか?
 王がパヴィアに捕囚される前の年、地は大いなる恐怖に満たされた。大晦日の夜九時から十時にかけ、空が血に染まり、天は裂けたかと思われたのである。万物は赤光に映え、獣たちは首を垂れ、草木は地に伏した。ふいに風が立つと大彗星が現れた。その尾は火龍とも燃える蛇とも見えた。しかしたちまちサンドニ街の壕の方(かた)へ流れ見えなくなった。
これが書き出しだ、描写とはいえない説明ばかりとか、歴史書を書いているのだろうとは書いたが、じつは、それは人間描写のことを言っていたのであって、見てのとおり、19世紀に生きたシュオブが見るはずもない景色を、その場で見たかのごとく、描写している。

ところで、物語を眼をむけるならば、こうした書き出しでありながら、下が上に続く段落なのだ。
 同日の夜半過ぎ、といっても十二月の長夜のことゆえ、人々が床について二刻(ふたこく)は経った頃、街にざわめきがおこった。それも無理からぬことで、シャンパーニュ地方のトロワ市から伝令が到来し、市がほとんど灰燼に帰したと伝えたのである。伝令は夜通し教会前のサン・ジャン・ド・グレーヴ広場に陣取り報告をおこなった。年若い馬丁が寝ぼけ眼で馬を繋ぎ、伝令の帯や剣や拍車は燈火にかがやいた。彼らが語るところによると炎は二日を経てなお尽きず、マルシェ・オ・ブレ広場は焼け野原となり、ベフロワ街の大釣鐘は融け崩れ、そしてエタップ・オ・ヴァン小路も、脂が乗り歯応えのある臘腸(アンドゥイユ)を出す「野蛮亭」とともに焼失したという。
奇跡のような天変地異が、卑俗な火事の話になってしまった。
そして、ことは、大仰な流言へ発展していくのだ。
 大砲の火薬に硫黄の瀝青を混ぜた粉末で、放火魔はあらゆるものに火付けする。その姿を見たり捕えたりした者はいない。ナポリから隠密裏に王国のめぼしい市(まち)を余さず燃やしに来たとの憶測もある。そういえば降誕祭の頃、イタリアからムーア人が大挙してパリに押し入り、子を拐かし殺め血を啜ると噂されたことがあった。放火魔らも信条を同じくする結社の一員ではあるまいか。
前の段落には、放火といった文字は見えなかったのに、続くこの段落では、最初のセンテンスから、放火魔の存在が示されている。段落ごとに一足飛びの飛躍が見られる。
さらに続く段落が、下なのだが、ここでも、飛躍、いや、それ以上のものが見られる。
 縦筋の入った長衣を着た代官と判事ら、それに参事会員、街区長、士官、弓兵、弩兵、それに火縄銃兵がおっとり刀で角燈を手にあらわれた。ただちに夜警を街に配備するよう厳命が公布され、実行された。翌日、誰ともしれぬ男が絞首台に引き立てられた。神を蔑ろにしたとサン・ジャック街の旅籠の亭主が証言したためである。だが初級審の代官の前でも、さらには高等裁判所でも、男は口を割ろうとしなかった。ついには騾馬に乗せられ頭巾をかぶり、くすんだ色合いの細かい襞のよった羅紗の長衣をまとい、粗織の外套をはおり、男は高等裁判所付属監獄(コンシェルジェリ)を出所した。騎馬巡査や徒歩巡査、およびパリ市民の前で判決が三度(みたび)告げられた。慣例にのっとり慈善教会の前でパンと葡萄酒が恵まれた。朱に塗られた十字架が手渡され、裸の頭で絞首台に臨むべく頭巾を脱がされた。
彼の容疑は、「神を蔑ろにした」ことだが、「口をわらなかった」のは、それがこの小説の中で語られているという事実から放火について、であろうと、憶測される。いや、むしろ、憶測せざるを得ない。まして、彼の処刑は、かくのごとく描写される。文脈からわかるはずのことは書かずに、書かなければわからない映像的な描写は丁寧にほどこす。これがシュオブの小説だ。わからないといえば、わからない。難しいといえば難しい。
だから、やはりこれは歴史書ではなく、小説だ。時代背景はすでに提示されている。その背景のなかで、私たち(読者)はその時代の人間同様に、それを見るのだ。そのとき、くだくだしい説明はない。
すると、
 主の御心に適うべく処刑がなされた後、角燈や洋燈や蝋燈が門に吊るされ、市内には徒歩巡邏や騎乗巡邏が五、六百人配置され夜を護った。誰もが恐怖でなすすべを知らなかった。街道や小路は無灯が常だったゆえ張出しや窓の窪みや石甃はひときわ暗くみえた。間もなく弓兵たちが松明を振りつつ通り過ぎた。閉門時刻が過ぎても小窓に灯りが消えなかったが、これは今までついぞなかったことだった。ノートルダム寺院の聖画は角燈で照明され、特別な警備がつけられた。かつて異端のある宗派が聖者像をあちこちで毀損したことがあったからである。
自白はなかったとはいえ、刑に処された者がありながら、やはり恐怖は去らないというわけだ。それならなぜ刑に処されたのか、と疑問に思わないでもないが、それならおそらく「神を蔑ろにした」からなのだろう、と納得するしかない。
だが、これまでに起きたことと言えば、トロワ市が焼尽したに過ぎない。放火魔の存在自体が、噂に過ぎない。
そこに、さらなる「噂」がたつ。だけど、今度は、ただの噂ではない。
 翌日、路上や商店で、そしてとりわけ床屋で、日毎に衣装を変える四、五人の得体の知れない男がパリに入ったと噂された。商人のなりをすると思えば、傭兵や農夫に見えることもある。髪はあるときもないときもある。みなは異口同音に、注意深くその男らを見張っていると言った。かれらこそ大いなる災厄をもたらしに来た放火魔に相違ない。しかしどんなに念入りに見張っても、白昼いくつもの家にアンドレ十字架が黒々と大書されるのが見つかるのだった。夜のうちに見知らぬ男どもの手によって描かれるのである。
アンドレ十字架とは、アンデレ十字のことだろう。フランス語だと、アンデレがアンドレになるようだ。でも、「十字架」の「架」は余計だと思うが、それはともかく、そのアンドレ十字架が描かれるという事件が起きている。
起きてはいるが、火事や放火とは関係がないといえば関係がない。というわけでもない。それをシュオブはアンドレ十字と呼んでいるが、ではアンドレ十字とはなにかといえば、斜め十字、すなわちXマーク、いや、いっそ×印といってもよいだろう。それなら、そう、印ともとれるわけだから、標的のようで、恐怖の対象になるのも頷ける。そして、それをあえて、アンドレ十字と呼ぶ、それがシュオブ、あるいはシュオブの小説だともいえる。

ところが、そのアンドレ十字の謎も、あるいは、四、五人の不可解な人物もこの段落以降、姿を消す。ただ、彼らと、アンドレ十字によるパリの街中の恐怖が、「無頼漢、貧民、贋乞食、浮浪者」を市から退去させる、その誘因にはなったらしい。
そして、ようやく、コラール、トルテニュ、フィリポの3人の落破戸(ならずもの)が、ボドワイエ門の先の大街道に姿を現わすのだ。
 パリ中が混乱に陥った。そこで王命が下り、無頼漢、貧民、贋乞食、浮浪者はすべて市から退去すべし、さもなくば絞首刑に処すとあらゆる四辻で喇叭の音とともに叫ばれた。何人もの胡乱な輩がお触れを聞き姿を晦ました。ボドワイエの門から大街道へ追放されたものは、終いには相当の数となった。こうした有象無象のなかに三人の男がいた。すなわちブランジェのコラール、モンサンジャンのトルテニュ、録事のフィリポである。王命もそれほど厳格じゃなかろうとたかをくくり、三人は市外の街道に居残っていた。ただ揃って風評芳しからぬ上、見てくれはそれに輪を掛けてひどいため、人々が放火魔の恐怖で度を失い恐慌に陥ったとき、市街(まちなか)にいると殺されるのではないかと恐れたのだった。事実、叩けば埃の出ないわけでもなかった。王印のないテストン貨やフローリン貨のおかげで、豚市で焼印の押されるのをあわやのところで免れたことがあったのである。
それでもこの小説は、この本でかつて見られなかった、登場人物間による鍵カッコでくくられた会話がある。まさに小説になっている。
彼らはたしかに落破戸である。ここでも、暴虐が描かれる。だが、彼らが火を点けたとは最後まで書かれていない。それより、彼らは、「風評芳しからぬ」輩だったというのだ。芳しからぬ風評がたつほどに、パリの住民だったのではないか? それなら、外からきたものであるはずの放火魔ではありえないのではないか? それでも、度を失った市民を恐れるのはわかるが、しかし、彼らは放火魔として死ぬ。その顛末は本を読んでもらうとして、その根拠は? なにかがズレているのだが、おそらく、シュオブはそれを承知のうえで書いている。むしろ、彼らの死によって、放火魔というデマによるパリ市中の混乱を沈静化せしめたものがあったのだと、いつもの書かずに告げるシュオブのやり方で、語ったのがこの小説だったのだろう。

というわけで、この本は、この後には訳者あとがきがあるだけで、小説はこれでお終い。

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